胡蘭成の書 和敬

f:id:deainokotonoha:20160606004754j:plain     胡蘭成の書 「和敬」

彼の書のなかに、時折だが日本的なことば選びがみられることがある。

また この作品には名が抜けているが、名前を書かないことについて「一流の人間であれば、名前を書かなくても分かってもらえるものだ」と胡蘭成は語っていたと伝聞したことがある。
書についての自信がうかがえる。

ありがとうございました。

胡蘭成 梅花の書

f:id:deainokotonoha:20160606003316j:plain     胡蘭成の書 「幾生修得到梅花」      

50年近く自宅の離れの部屋に掛かっている額の字。長い間、梅の花(そのもの)について何か胡蘭成が思うところを書いたのだと思っていた。

梅花の字が梅の花の意味ではなく、梅花心易(易断の一種)を指しているだろうことに ようやく気付いたのは近年のこと。

祖国を追われ筑波山に隠棲していた時のことだろう。
ふと、いったい幾つの人生を生まれ死にすれば 易(梅花)の境地にたどり着くだろうか?!と胡蘭成の想いが動いた時の言葉だと思う。

50年以上の時を経て、故人の書が時空を越えて語りかけてくる……
そんな妙味が書にはあるのだと分かった。

ありがとうございました。

現代インドの女性聖者 アンマの祭壇

f:id:deainokotonoha:20170119230308j:plain真言宗の秘密経典には こう書かれている。
  
  仏のすべての行いは
  ひとしき愛に基づきて
  種々さまざまにひろがりぬ。
(『和訳 理趣経』金岡秀友 編著 東京美術1991)

つまりあの世浄土には 大日如来をはじめとした80億もの菩薩がいらっしゃるけれども、様々な様相はあるが、共通するものは「愛」なのだ ということだ。

仏教の様々な経典を読み込んで どんなに知識を集めてひけらかしたとしても、
この愛が分かっていなければ、ブッブー(〆)なのだ。
その愛を体得したかった。

ある日曜日の午後、吉祥寺のサンロードを歩いていると、向かいから子どもの手を引く中年の小太りの女性を見た。
「アマチマリだ!」なぜかそう思った。
正確には アマチマリさんだったかどうかは本当のところ分からない。
交差点を西側へ曲がってロフト裏に出ると、偶然だが
旧友のH氏が ガードマン姿で仕事をしている所に出くわした。
「ああ、どうもこんにちは…」
と話かけようとすると、話を手でさえぎられて、
仕事中はベストを尽くすのでジャマしないで欲しい、と言われた。
それでも、この仕事が終わったら アマチのセンターに行くので、一緒にどうですか?!と誘われた。

アマチ?!今日はアマチという言葉が偶然にしてもよく出てくる…  不思議なシンクロに半ば驚きながら一緒に行くことにした。

夕方H氏の仕事が終わる頃 待ち合わせて中央線で西荻窪へ向かった。行く先はなんと、当時自分が寝泊まりしていたアパートのすぐとなりの陽当たりの良さそうなマンションの一室だった。
マーターアムリタナンダマイー日本センター。

おじゃますると、理知的で気のよさそうなひげ面の男性Mさんと、ニコニコと優しそうな女性Nさんが 気さくに迎えてくれた。H氏の紹介ということがあったからだろう。

それよりも驚いたのは、マンション南の窓側にあるアマチの祭壇から、その周囲に普通では考えられないような濃厚なエネルギーが充満していたことだ。(デーヴィーババ・女神の雰囲気 状態で冠をかぶった姿のアマチの大きな写真が飾られていた。)祭壇にはアマチが足を乗せたという銀のサンダルもあった。
これはすごい!
まるで光り輝くエネルギーのプールに入りこんでしまったような えもいわれぬ清らかさと力強さ、そして歓喜に満たされて、はじめて間接的ではあるが出会ったアマチという存在は 理解を越えた言語を絶する存在、そう、聖者としか言い様のない方なのではないか…… と感じはじめた。


この日、10人くらいの善男善女が集まってMさんの先導のもと、バジャン(讃歌)を歌い、儀式をしたあと、
皆で手分けして作った豆カレーなどを お腹いっぱい食べて ヒンドゥー祭儀の良いところを学ばせてもらった。すっかり気にいってしまった。

アマチさんは、人類の母性を代表するような存在であり、もし子ども逹が泣いているならば、行って抱きしめてあげるのだ という。シンプルだけれども、このハグをやりつづけているそうだ。抱きしめられると、なぜか泣いてしまう人が多く、何らかの変容を経験するのだろう。

本当の愛が知りたい人、アマチの抱擁を経験してみてはどうだろうか。

アマチの存在は 人間の可能性や女性性や母性愛の尊厳を我々に示していると思う。
聖者としての彼女をあがめるだけでなく、他でもないわれわれ自身にも 同質の可能性が秘められていることに気付けるだろうか。
アマチさん、センターのみなさん ありがとうございました。

薬以外の生理痛の対処法・手当法応用 大森流マクロビオティック2/2

f:id:deainokotonoha:20170110223247j:plain
若い白人女性の生理痛を癒した体験から16年が経過した。自分は東京都内の平穏な街の飲食店で働いていた。職場には韓国人、中国人留学生、タイ人留学生、日本人がいて、多国籍な顔ぶれであった。

ある日 開店前の食事を終えた中国人留学生の金キムさんが、ホールへの控え室のかたすみで しゃがみこんでいた。
「キムさん、大丈夫ですか?!具合いが悪いの?イスがあるから こっちに座ったらどうですか?」
とすすめると、いえ、このままの姿勢のほうがいい、と両手を腰に当てたままでいた。
夜の7時をまわり来客が激しくなって来たため、同年代の男子逹は 仕方もなく仕事に忙しくしていた(生理痛のつらさは男子にはわからないものだと自分も思った)。
あまりにも痛々しいので、意を決してゴマ塩を作ってあげることにした。

料理長のトンさんに、「いりゴマと塩、それからスリバチをください。手当てしてあげたいので。」と話すと、事情を察したトンさんは うなづいて白ゴマ、塩、スリバチとスリコギを渡してくれた。

マクロビオティックの本来のゴマ塩は、自然塩と黒いりゴマを用いるが、ここは完全でなくとも作るしかない。要は 細かく粉末状にしたナトリウム塩をゴマ油分でコーティングして、ゴマのカルシウムも取り込めばいいのだ、と考えた。

まず塩をスリコギ スリバチでよくすりつぶして、その上から 白いりゴマを入れ、入念にすりあわせた。
そして大さじ1杯くらいのゴマ塩をお湯でとかし、湯呑みに入れてキムさんに手渡した。
「少ししょっぱいかもしれないけれど、温かいうちに全部飲んでみて。」

飲み終えて5分もすると、キムさんもいつの間にか仕事に加わっていたので、痛みが引いたのだろう。
驚いた。
一部始終を見ていた中国人留学生の哲さんが、「Aさんは そんな方法も知っているんですか!すごいですね!」
と感心していた。男子留学生のヒョウさんは後日メールで誉めてくれた。

あまりにも自然に、苦しい時に助けられると 自然であるがために ありがとうを言うのを忘れてしまうことがあるが、キムさんの場合も まさか痛みが引くとは思っていなかったようで、その後元気に働いていたのを 嬉しく思い出す。

……

生理痛に苦しむ女性の皆さんへ。
生理痛にならない体質づくりが大切ではありますが、痛くて苦しんでいる時に、体質改善をすればいいのだなどという意見はナンセンスですね、それじゃ痛みは引きません。
一度 マクロビオティックの食箋用ゴマ塩の作り方をお調べ頂き、生理痛の時に飲んでみることをお勧め致します。
まさか、ゴマ塩ごときで生理痛がおさまるなど、信じられないことですが、もし効果があるということがわかりましたら、同じように生理痛で苦しむ女性の友人、知人や次の世代の女性たちと、知識の共有をお願いしたいと思います。
大森一慧先生の 身近な食材による手当法が書かれた本にゴマ塩の製法があるはずです。


生理の時期が近くなったら、ゴマ塩を携帯して、できればお湯に溶かして飲めばいいのです。薬以外の身近な食材で生理痛がおさまるのは、すごい事だと思います。
必要なのは、材料の自然塩といりゴマですから、お金もほとんどかかりません。ゴマ塩の作り方を習ったのは、今から約20年ほど前なので、自分の記憶がちょっとあいまいなので、書籍やサイトなどでご確認お願いします。

マクロビオティックの食事に慣れた方ならば、ご飯にゴマ塩をかけすぎると、後頭部辺りがギューッと締め付けられるような 痛みが起こることもあるとわかると思いますが、くれぐれもゴマ塩の取りすぎ・食べ過ぎには ご注意下さい。
収斂性(ひきしまる)が強く、止血作用もあるようです。 

この自分の体験が皆さまのお役にたつならば嬉しいです。ありがとうございました。

井の頭公園の湧き水が…?!

f:id:deainokotonoha:20170521131812j:plain自宅の近くに広大な井の頭公園があるのは、気分転換や心を癒したい時に とても重宝しました。
ふらりと歩きで出かければ、春夏秋冬季節を問わず 武蔵野の自然を満喫できるので。

ある晩のこと、ビールをのんだせいか 無性に水が飲みたくなり、ハイになった頭で井の頭公園の湧き水があるのを思い出して、そうだ、直接手ですくって飲んでみよう!と思い立った。

夜11時ころだったと思う。暗いなか公園の北側の石造りの橋があるところの崖側にある 湧き水へと近づきステップを下りて 石のマスを見てびっくり。  水面がピタリと止まっているではないか!!湧水がわいていない?!

……ショックだった。水も飲みそこねた。昼間 勢いよく湧いていたのはなんだったのか? 水道水だったのか、それとも井戸水か?!

それからしばらくして初夏のよく晴れた午前中、日曜日の朝のこと。湧水ちかくの井の頭池の辺りを散歩している時、池の端の陽当たりのよい岸辺で なにやら網を水に入れてすくっている中年男性を見かけた。  近づいて「なにか獲れますか?」
と話しかけると、観賞魚用のエサに 小エビを獲っているのだと言い、2~3㎝くらいの透き通った小エビたちを見せてくれた。
なるほど、井の頭池のコイや鴨たちがエサにしているのは こういった生き物なのだろうと納得した。

話題が湧き水のことになった。
公園の北側に巨大なマンションが建設されて、深く杭が打ち込まれたせいか、水脈が断たれてしまったのだろう とその男性は話した。
また 井の頭公園の湧き水が止まったのと同時期に
狛江辺りから湧き水が出た という(未確認です)。

「Tといいます。どうぞよろしく。又近くで見かけたら 声かけてください。」
と 地元のその男性は言ってくれた。

吉祥寺付近に住んでいても、地元の方々とお近づきになることは少ないように思われる。それでも 吉祥寺や武蔵野をいとおしく思うところは 共通していると思う。
Tさん、お話できて良かったです。ありがとうございました。

鎌田東二氏 画廊で法螺貝を吹く

ある日 霊感に優れた女性と電話で話しているとき、突然こう言われた。
「あなたは カマタトウジ の弟子なんでしょう?!」
一瞬 なにを言われているのか分からなくて返答に困った。大変失礼なことだけれども、当時 鎌田東二氏を存じ上げなかったのだ。
しかし 彼女のひと言は心のどこかに残りつづけた。

そんなことがあってから どれくらいたっただろうか?しばらくして彫刻家のIsobe氏から こんな提案をされた。
「銀座の画廊のオープニングセレモニーで、宗教学者のカマタトウジが法螺貝を吹くんだって。一緒に行ってみないか?!」
なかなか面白そうな企画だ、と思った。もちろん快諾して 一緒に行ってみることにした。

当日夕方、銀座画廊のオープニングセレモニーが始まる時間ギリギリに会場へと滑り込んだ。
既に大勢の芸術関係者(だろう)が 広い会場をぐるりと円形に取り囲んで立っていた。
ひと1人おいて左側に Isobe 氏がいて、身ぶりで「おう!(来たか)」と合図を交わした。
正面に 神道の幣束(へいそく)らしい立棒に 独特の形の切り紙が付いている。
マイクを持った男性司会者が言うには(記憶が定かではないが) 「この幣束は 三峰神社に伝わるもので龍神を表している。   を降ろしたりすると大変なことになる。」 といった話をしていた。すると
ブルブルブル…と自分の左足やひざが震え始めた。
ただならぬ気に、これは もうすでに鎌田氏がなにかの儀式を行ったに違いない、と思った。

「それでは鎌田東二先生、お願いします。」と司会者の男性が声をかけると、何と 自分のすぐ左側となりにいた人物が 鎌田東二氏だったのだ。
あざやかな緑色上下のジャケットとズボンにサングラスを着けた鎌田氏は アイルランドの聖地から帰ったばかりだと言う(アイリッシュ・グリーンだろうか?)。
そして話終えて、ボウオー!と 迫力満点に法螺貝を吹き鳴らした。