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deainokotonohaのブログ

出会いと発見 未来と過去は中今に息づいている

おもしろマクロビオティック備忘録④宿便が出る時の覚悟

f:id:deainokotonoha:20170319132059j:plainf:id:deainokotonoha:20170319132047j:plain   カレン・キングストン女史の著書
『ガラクタ捨てれば自分が見える』風水整理術入門
  小学館文庫2002
腸のクレンジングの大切さが説かれている


1人暮らしをはじめた大学3年の初夏、手さぐり状態ではじめた炊飯器玄米食でしたが、
食べはじめて1ヶ月くらいの頃だったと思います。

ある朝起きると、ものすごい目まいとえもいわれぬ腹痛がして、これはただごとではない と
命の危険をかんじました。

ふらつく状態で和式トイレにいって用をたすと、
  「カラカラ、カラカラ……!。」
と小粒の黒いビー玉のような 石のようなものが
大量に便として飛びだし、
そのまま水洗式で流してしまいました。

後に本で知ったのですが、
米食を始めた頃に起きやすい 好転反応のひとつ、宿便がでたのだ ということでした。
 (糞石ふんせき、というそうです)

20才にして、こんな腸のよごれ具合なのです。

……

イギリス人女性のスペースクリアリングを提唱するカレン・キングストン女史は、
著作の中で度たび 腸のクレンジングの大切さ
について述べています。

カレン女史は独自の風水を編み出して部屋の片付け指導のプロとして カウンセリングをしているようですが、
 今でも東南アジアのひとたちが定期的に腸のクレンジングをする習慣を 高く評価しています。

……

自分の身体を使った食の人体実験としてのマクロビオティック

ひとりきりで行うよりも、身近に先達がいて、時おりアドバイスをもらいながら行えるのが理想です。

おなかは 腹脳ふくのう という呼び名もあるくらいで、
おなかと脳とは当然のことながら連動しています。

ごく普通の食事に慣れてしまった方のなかには、
米食をはじめると体調が悪くなる(ように感じる?!)方もいらっしゃると思います。
 それは一種の好転反応だと考えられますが、
体調の変動があることに 怖れを感じる方がいらしてもおかしくありません。

そこで玄米食は恐いと感じるか、いや、このまま食べ続けてみよう と決断するかは、
その方の「思い」ひとつです。

……

たかが玄米食を続けることに、これほどの覚悟がいろうとは、想像だにしませんでしたが、
宿便が出る時の覚悟は、あらかじめしておいたほうがいいかもしれません。
 びっくりですよ。

また、玄米食がもたらした身体改善の出来事、素晴らしい働きのひとつとも考えられます。

宿便や糞石ふんせきを排出しようと体全体とお腹が動き出す時、それは
身体にとっても一大事業、一斉清掃のようなものですから、
個人差はあれ、命がけのような覚悟が問われることもあるのだ、
と 心若き冒険者たちにはお伝えしておきたいと思います。

やるか、やらないかは
あなた次第です。

楽しきかな、マクロビオティック

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

参考文献 カレン・キングストン
 『ガラクタ捨てれば自分が見える』風水整理術入門   小学館文庫2002

おもしろマクロビオティック備忘録③玄米食の不思議と不自由さ

米食の不思議と不自由さf:id:deainokotonoha:20170316214222j:plain

米食と玄米食の違いはとても顕著です。
炊きたての白い御飯もわるくないですけれど。

……

今から25年も前の大学時代、運命的に出会った本に導かれて 炊飯器でボソボソの玄米食を手探りではじめました。
 手持ちの炊飯器で表皮の厚い玄米を炊くため、仕上がりはポロポロ、ボソボソで 決して美味とはいえませんでしたが、初めての1人暮らしと 食をめぐる日常的な冒険心がくすぐられたせいか、心は喜びに満ちあふれていました。

桜沢如一GO の著書のなかに 「健康の七大条件」という文があり、
  朝はガバッ、と起きる
と書かれていて、そんなバカな……
と内心思っていました。

米食をはじめて一週間たったか経たないかのある朝、ガバッと起き上がり目が覚めたので、
我ながら驚いたり、笑ってしまったのを思い出します。

……

ひと言で言えば、玄米食は不思議です。

食物という限定的な定義には収まりきれない繊細な作用が なにか働いているに違いありません。

例えば、「激しく怒る」ということが、玄米食を始めてから極端に減りました。
 とにかく毎日が楽しいのです。

それを言ってみれば、ナチュラル・ハイとでも表現できるかもしれません。
 そして人に対しての共感能力が増すためか、他人に対して愛情深く、心がこまやかになりました。

これまで気付かなかったことに気が付くようになったり、物事の新しい側面を発見したりで、とにかく毎日が新鮮だったのを覚えています。
  (玄米食だけでなく、陰陽を同時に学んだことも
   大きいかもしれません。)

……

ところが反面、小さな「差異」に気付くようになったせいか、異質なモノが苦手にもなりました。
 
 例えば肉食系の荒々しい性格の持ち主とは もう付き合いたくない……などといった思いに直面することになりました。

残念ながら(!?)、世界においてベジタリアンは少数派です。社会においてその小さなコミュニティの中だけで過ごせるなら まだいいかもしれませんが、
世の中はそう単純にはいきません。
 反りの合わない人との交渉ごとだってあるでしょう。玄米食によって感覚が鋭敏になりすぎるのもまた、つらいものです。
 その辺りに玄米食のむつかしさのひとつが見いだせます。

また、食事できるレストランが とびきり限定されてしまい、行動パターンが小さくなってくるという側面もあります。
 
 あたかも、ある種の動物が決まったモノだけを食し、生息域が限られてくるようなものです。

……

これがマクロビオティックの真実の姿なのでしょうか?!

新たなる道に踏み出そうとする、こころ若き冒険者たちに、是非体験し確かめていただきたいことのひとつです。

楽しきかな、マクロビオティック

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

おもしろマクロビオティック備忘録②砂糖に向き合う

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マクロビオティックと砂糖について思うこと。

幼少の頃を思い出しますと、確かに昭和40年代は甘いものは希少でした(田舎でしたし…)。
家の庭には甘柿の木があり、初秋に柿の実をもいで丸かじりするときの幸福感!

 戦中戦後の世代はさらに甘いものに飢えており、彼らの甘いものに対する欲求にこたえる形で和食に砂糖が多用されたに違いありません。

……

学生の頃、赤坂のパキスタン人の絨毯商人とインドカレーを食べている時、
   「和食は好きですか?」
と聞いてみた。パキスタン人の答えは
  「和食ジャパニーズは、まるでスイーツだ。」
というもので、衝撃をうけました。

実直な伝統食を食べる人びとにとっては、和食はあまりにも甘いのでしょう。

明治以来に確立された和食を責めても仕方がありませんが、甘いものに飢えた、そればかりか日々の食に飢えた経験をもつ戦中戦後世代の甘いものに対する幼少体験が、
糖尿病という形に反映されていてもおかしくはありません。
 (厚生労働省平成26年度の調査による糖尿病の総患者数は約317万人。)

(しかし、ここで砂糖を悪者扱いしたいわけではありません。
 砂糖の現実を知り、自らの意志で「選べる」ことこそが大切なのだと思います。)

……

たとえば 3ヶ月の間だけでも砂糖入りの食品を避けてみる、といった体験は
我々が日常に何気なく食べ続けている 食 に対しての気付きを体覚的にもたらしてくれるでしょう。
 きっと有益な体験になると思います。

よく言われていることですが、砂糖を摂取すると、
代わりに体内のカルシウムやビタミンが使われたり、流出するようです。
 その意味で 砂糖の入ったデザートや飲み物などをとることで 一時的な甘味への欲求は満たされても、長い目でみると体にダメージが残りやすいでしょう。

どうしても甘いモノが食べたい時は、ダメージを考えて 砂糖入りのものからフルーツやフレッシュジュースなど、果糖くだものの糖で代用するというのもひとつの手段です。

……

また、スイーツは脳の報酬系に作用する、いわゆる「自分へのごほうび」として利用できるという側面も見逃せません。
 自分のことながら頑張った、よくやった後など、
ほんの一口でもいいので甘味を口にするように習慣づけると、
日々の生活にメリハリがつき 甘味を楽しむと同時に人生にはずみがついて来ると思います。

砂糖の代用品として 非加熱で混ぜ物をしていない生ローハチミツなどは注目の食材でしょう。

マクロビオティックをやっているのに、ハチミツですって?! そんな極陰性なものを食べるのは、
マクロビオティックを知らないニセモノの考えなのでは?!

いえいえ、「信じない」「盲信しない」ということが
とても大切です。
 さらに言えば、自学自習、自分自身で確かめて体得することがマクロビオティックの基本中の基本ですから、色々試してみることです。
 そうですね……2~3ヶ月も続けて食べてみれば、その食品が身体にどんな作用を及ぼすのか?!が分かると思います。

 ただし、自己責任ですけれど。

楽しきかな、マクロビオティック

………

ここまでお読み下さりありがとうございました。

おもしろマクロビオティック備忘録①陰陽を見る目は、自在になるための道具と心得よ

f:id:deainokotonoha:20170302184210j:plain     陰陽を見る目は、自在になるための道具

日本においてマクロビオティック運動をはじめ、ヨーロッパやアメリカ、インド、アフリカを歴訪して啓蒙活動を行った 知の巨人、桜沢如一(さくらざわゆきかず)。

フランス語で書かれた『無双原理・易』の名著は、相対世界における 陰と陽のものの見方をよく説いています。
  男と女 暑いと寒い 明るいと暗い 甘いと苦い
  美と醜 天と地 大きい小さい 
  目に見えると目に見えない ……

などの相対的な構成要素で我々の世界は表現されます。桜沢如一(GOジョージ・オーサワ)は 名付けて
  「魔法のメガネ」
と呼びました。

陰陽を見る目をひとたび身につけると、とても面白いので 人はついつい夢中になってしまいます。
ただし、生成発展といったような物事のサイクルを知らなければ、この鋭利な刃物のような
陰陽を見る目は、ナマクラになってしまい空論と化します。
 従って、科学的な知見や一般的な知識を否定するものではありません。
むしろそれらの既存の情報を活性化し、別の側面に気付かせてくれます。

またGO は再三にわたり「陰というもの」や「陽というもの」が絶対的に存在しているのではなく、相対的な、一時のバランスを表現していることに注意するよう呼び掛けています。

肉は陽性で、砂糖は陰性、といったひとつのモノの見方に固執するのではなく、むしろ自在にあるために「魔法のメガネ」陰陽のものの見方を利用する、というのが あるべき我々の姿なのかもしれません。

人間ひとりひとりにも、また社会や歴史をみても、表があれば裏もあります。さらに他の見方をすれば、そこにも表や裏があります。
正・反・合という言葉があるように、全体を俯瞰する目を持ちたいものです。

陰陽を見る目は、自在になるための道具として、一応自分自身にインストールしておく…しかしこだわらない、というのがいいかもしれません。
 ひとつの見方にこだわるのではなく、自身の気付きを促し、自在になってゆくためにとても有用な道具と心得えていただけたら素晴らしいと思います。


ところで、陰陽を見る目で自在になったとしたら、
なにをなさりたいですか?

実はこれがいちばん大事ですよね。
(若き自分にはこれが欠けていたのでした トホホ…)

楽しきかな、マクロビオティック

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

糖尿病とエッチに効果が?!スリランカの長粒赤米ラトゥ・カクルRATHU・KAKULUを発見

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スリランカの長粒赤米ラトゥ・カクル

輸入食品店に寄った。飲食店勤務時代の習性か、未知の食品・食材や調味料、香辛料の使い方などには興味がある。

スリランカ人と思われる小柄な朴とつな中年男性との
日本語・英語まじりのカタコトでの会話でも、
地球人同士の意志疎通のトレーニングだと思いながら
楽しんでいる。

……

金属棚に中くらいの袋に入った赤っぽい長粒米を見つけた。
二人の大柄で太った外国人男性が 慣れた様子で入店して来て、店主とあいさつを交わした後、
一人がこの赤米らしき袋をひとつ手に持った。

自分:「ちょっと聞いてもいいですか?」

男性:「なんですか?」

自分:「それは赤米ですか?!」

男性:「そう。ラトゥ・カクルだよ。ラトゥは赤REDの意    味だよ。」

自分:「それじゃあ、白い米はホワイト・カクル
    ですか?!」

男性:「ちがう。白い米はライスだ。そういう名前
    なんだ。」

自分:「そうですか…ラトゥ・カクルは美味しいの
    ですか?」

男性:「あまり美味しいわけではないが、糖尿病に効果
    がある。それにエッチも強くなる!
    (前腕をグッと持ち上げるポーズ)」

自分:「そうですか(笑)。ありがとう。」

……

長粒赤米の赤っぽい外皮の部分には多分ポリフェノールの様な成分が多く含まれているのだろう。
 日本でも江戸時代頃までは 神事などに赤米がお供えされていたようだし、小豆アズキ入り赤飯の原型だと言われている。

栽培種としてその他にも白米、緑米など種々なバラエティに富んだ米作りがなされていたようだが、
明治から昭和にかけては、白米一色へと統一されて来た歴史があるようだ。
 少しでも赤米が混じると「赤米公害」
と言って 米のランクも下がったと言うのだが…

……

スリランカの長粒赤米 ラトゥ・カクル が本当に
糖尿病に効果があるのかどうか?!
 またエッチが強くなるかどうかは、まだ食べていないので 分かりません。

ご興味をお持ちになられた方お試しになられたらいかがでしょうか。

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

礼儀正しさのルーツは?!ホーリーバジル、立禅、大地の徳

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礼儀正しくするのはナゼだろう。

大和古流ヤマトコルの友常貴仁氏の著書に「あめつちとのやくそく」という言葉があったが、何か奥深いと感じつつも、その真意が分からなかった。

人々との争いのなかで礼節を失い 道を踏み外した。

傷心のうちにホーリーバジルを育ててみると、これまでの人生のなかで気付かなかった 大地の偉大さを体感させられた。
同時期、偶然古本屋で立ち読みした 水野南北の対話集で、
 庭に花ではなく野菜を植えるといい。大地が
 持つ生成化育の徳の成就を助けることになる
 から。
と書かれていて、その事が静かな衝撃波となり心に浸透した。

江戸時代の知識人の奥深さ、われわれが現代において失いつつある 何か がありそうだ。

立禅をやってみた。
大地の力と自分を一体にする方法であり、身体の健康にも効果的な伝統的手法だ。

立禅は近年話題になりつつある「アーシング」大地の未知のエネルギーを取り込むワークの古代中国版とも考えられるだろう。
中華遺産、人類遺産とも言えよう。
 
彼らは知っていたのだ。
いかにして大地を通じて天と一体になるのかを。

立禅は 無念無想でやるのがいい、とされるのだが、ふつうの人は一週間くらいで飽きてしまう。
つまり、モチベーションが続かない事が多い。

そこで ヘミシンクの坂本政道氏が著書のなかで紹介していた
  「天と地のエネルギー・スーパーラブを充たす
   ワーク」
を立禅に取り入れてみた。

これはとてもいい感じだ。
座禅や立禅では 無念無想をやろうとするが、実は人間の脳波は瞬時も休むことなく、睡眠中でさえ動きつづけ活動するのだから、
有念有想、あるいはイメージワークを積極的に行う、というのはひとつの手だと思う。
 (禅の行は危険が伴うことがあるそうですから、
 ふさわしい師に着く事が理想でしょう。禅病とい 禅者がかかりやすい症状の回避も大切でしょう)

都内某所に物産店を構える初老の老紳士と、店頭で話を交わした。
どうやら中国系の行法を修める方のようだった。
椅子に案内され、客人としてお茶でもてなしていただいた。
 その人に接する丁寧さや奥ゆかしさ、礼節や正直さ、率直さに心打たれた。
昔からの礼儀正しさや伝統を重んずる態度は、華人に見習うものがあるだろう。

日本人は礼儀正しい、と言われるが 本当だろうか。その礼儀正しさは形ばかりで 本質が見失われつつありはしないか。
 もう一度 古人たちが大切にしていた世界観を見直してもいいのではなかろうか。

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

名作アニメ映画「千と千尋の神隠し」謎解きチャレンジ 異世界において千尋は「礼儀正しさ・礼節の大切さ」を学んだ

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異世界で千尋は礼儀・礼節の大切さを学んだ

小・中学校・高校時代では、授業の始めや終わりに「起立、礼(ペコリ)、着席。」などとやり、常に全体のことを考えて そして「礼儀正しくしましょう」と教わらなかっただろうか。
そのこと自体は決して悪いこととは思わないけれども、千と千尋の物語の冒頭で 引っ越しで車中にある千尋の力の抜けた姿からは、そんな小学校生活になじみながらも、何だか無気力になりつつある様子がうかがえる気がする。

……

さて、突然にも異世界に迷い込んだ千尋は両親がブタに変わってしまい、導いてくれたのはハクだった。
ハクは異世界のルールを少しづつ教えてくれた。

「この世界では仕事をしない者は動物にされてしまう。だからここで仕事をさせて下さい、とねばるんだよ。」と。

そして初めに挨拶に行ったのが 湯屋の最下層で火を扱う父や男性性を象徴する 釜ジイのところだった。
釜ジイは基本的に裏方だが、湯屋の誰もが一目おいている。
釜ジイは
  「手伝うなら しまいまでやれ。」
と仕事の心得をつたえる。

印象的だったのは、釜ジイのところから先輩のリンに連れられて出て行く時、
 「お礼を言わないのかい?世話になったんだろ?」
と言われ、くぐり戸のところでひざと両手をついて、ぎこちないが「ありがとうございました。」
と千尋はお辞儀をした。

次に向かうのが、最上階で湯屋を仕切る魔法使いの湯婆婆ユバーバのところ。こちらは水の代表、女性性や母性を表すものだろうか。
何でも魔法で自在にやっていそうなユバーバでさえも、実は
 「つまらない誓いを立ててしまったものだ。仕事をしたいやつには仕事をやる、だなんて」
と、何かのルールには従っているようなのだ。

……

これらのルートや成り行きから、実は千尋の迷い込んだ異世界にも 見えないルールや法則性があるのだ、ということを伝えようとしているのでは?!
と考える。

……

仕事を終えて外を見ていると、白竜が何かに追われて傷付いてもどってきた。千尋はハクに違いないと見抜いて 必死になってハクの名を呼ぶ。

白竜は最上階へもどり、千尋もハクのピンチに力となり、最上階から真っ暗な空間を真っ逆さまに落ちてゆくが、
なんとか湯屋の最下層にいる釜ジイのもとへとたどり着き、ハラの中の黒い虫をつぶしてしまう。

大事なハンコを取ったハクが犯した罪?!をつぐない謝りに行くため、自分がどうなるか、ちゃんともどって来られるかどうかは考えず、千尋は
「沼の底」に住む銭婆ゼニーバに会うため、広大に広がる外の水の世界を電車ですすむ。
(取ったものを返し、あやまりに行く 礼節を第一にした行動だ)

銭婆ゼニーバというユバーバと双子のお婆さんに会い、謝るのだが、行き着くまでの間、
足つきのランタンがピョンピョンと迎えに来て、両者ペコリとお辞儀をする。
それは 役目への敬意 ではないか。

千尋は異世界の存在が なにかの役目を持って動いていることを 少しづつ学んだようだ。

……

そして白竜ハクのむかえで湯屋に着くと、最後のクイズがだされる。
並んだブタの中から本当の父と母を選べというのだ。

このシーン、千尋がなぜ、ブタ達の中に自分の父と母がいないと分かったのか?!
どうしてピタリと当てられたのか、長い間さっぱり分からなかった。

(この答えを言ってしまうと 物語を自分の力で解き明かす楽しみを 皆さんからうばってしまうかもしれません)

……

少しづつ千尋は 礼儀正しくするのはナゼなのか?
礼節が大切なのはナゼなのか?

ということを学び、実の父の背後にある存在、男性性、火の象徴への礼儀と、
実の母の背後にある世界、女性性、水の象徴への礼儀 
そしてさまざまな 存在や役目に対する礼節

この事を学んだのだ、と宮崎駿監督は描いてみせたのではないか?!

湯屋は下から上へと昇り貫く力、火の力と、横に広がる水の世界を合成して成り、
神々でさえもこの火と水の力(湯)で疲れを癒すという表現がされている。

なぜ不思議の物語の舞台が 湯屋だったのか?!

火と水で、何と読むでしょう?!

……

これはあくまで謎解きの一例です。
皆さまなりの楽しい気付きと謎解きがありますように。

ここまでお読み下さりありがとうございました。