インド思想入門「護摩供ヤジニヤ以外の行為は束縛になる」ギーターのことば

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ギーター/3-9
ヤジニヤ(護摩供)の所作を除いて、すべての
  行為は この世界においては束縛になる。
  このためアルジュナよ、
  お前は執着を捨て去り、行為を為せ。

………

A・ ヴィディヤーランカールの解説
  
  ヴェーダの時代よりインド人の生活において、ヤジニヤ(インドの神聖な護摩供儀)の伝統がつづけられている。
  
ヤジニヤの火は、パラマートマー(神)とその力の象徴である。それに捧げられている供儀の材料、蘇油(そゆ、ギーという精製バター)と護摩木は 人との境界意識の象徴である。

護摩木を火に捧げると、これらの供物は火そのものの姿になってしまう。
このように人パラマートマーの前に身を捧げて、パラマートマーを得るのだ。
そしてパラマートマーの光がその人の中にやって来る。ヤジニヤは人が自分の限られた手段を社会の安寧のために捧げ尽くすという一つの社会的儀礼の象徴でもある。

このようにヤジニヤの精神で仕事をしている人は 自分の意識を無私、無垢、寛大、そして清浄に保っている。

出典『ギーター・サール』インド思想入門 
   バガヴァッド・ギーターの神髄
  A・ ヴィディヤーランカール著
  長谷川澄夫訳 東方出版2007

………

私見: インド世界では、唯一、束縛にならない行為が護摩供ヤジニヤなのだと断言するこの文言は、かなり透徹した意見ではないか。
日本社会に当てはめてみると、例えば 密教護摩仏教神道などの祈祷に当てはまるかもしれない。

我々が成人する頃までに家庭や学校で日頃に刷り込まれた習慣は、その後の社会生活において基盤となるだけでなく、かなり不自由な信念の体系として
時として自分自身をしばり付けてしまうものだ。
「わかっちゃいるけど、やめられない…」というやつだ。
誰もが本当は 自由自在に生きられたらいいだろうに……と考えると思うのだが、古くからインドでは、
 「祈りヤジニヤ以外の行為は束縛になってしまう」
と言われて来たのを知った時は、すごい知見だと思った。
米国の著名な精神科医で、意識の科学を深く研究しつづけた デービット・R・ ホーキンズ博士(故人)も、
How to live your life like a prayer いかにして人生を祈る人のように生きるか、ということを大切なテーマにしていたようだ。
ホーキンズ博士の意識についての科学的研究は、キネシオロジー筋肉反射テスト(YesとNoを人間の生体反応が示してくれる)に基づいているようだが、スピリチュアリズムの虚実についても かなり明確な認識を示しており、
インド思想にも現代的手法で肉迫しているものと推察している。

興味をお持ちの方は キネシオロジーやタッチフォーヘルスなど解放の技術も追求されてはいかがでしょうか。

「祈りを生きる」ということが、ひとつの答えなのですね……

ここまでお読みくださりありがとうございました。