アルメニアの伝承「烏岩カラスいわの謎」 ミトラ武勇記より

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アルメニアのミトラ伝承とミトラ再臨予言に、烏岩からすいわ についての不思議な話が伝わっているようなので、以下に抜粋してみました。


………

ミトラ武勇記 (若き聖戦士ミトラの武勇伝)

1.序  アルメニアの伝承によれば、ミトラはアルメニアの地に二度生まれ出ている。アルメニアの伝承は、最初の生まれ変わりを 大ミトラ、二度目の生まれ変わりを 小ミトラ と呼んでいる。

………中略

14.父母のお告げ  葬儀を終えると、ミトラは、父の墓のもとに行き、いくら退治しても悪者は減らず、もはやこの世には自分を支えるものが何もないと嘆いた。すると父の霊が墓の中から現れ、ミトラに言った、
「わたしにできることは何もない。天輪の回転は誰にも止められない。わが子よ、烏岩カラスいわ(アクラヴォ・カル)に行くがよい」。
この言葉の意味を解くために、ミトラは母の墓に向かった。母の霊は墓の中から現れて、父の言葉の
重要性を強調したが、その意味を解いてはくれなかった。父と同じく烏岩に急げとだけ言った。

15.七つの試練
 謎が解けぬまま、ミトラはヴァン平原をさまよい、烏岩を探して旅を続けた。ある日、ミトラは馬に乗った七名の天使たちと出会った。彼らは一人ずつ順番に、ミトラと試合をした。試合は丸一日続いた。一人また一人と、天使たちはミトラに降参し、ついに全員が降参した。彼らはミトラがかすり傷ひとつ負わなかったことを知って、勇敢な若武者ミトラと主従の関係を結び、ミトラを烏岩まで案内することになった。

16.烏岩からすいわ 
 七名の天使に案内されて、ミトラは、トスパ平原にやって来た。そこで、ミトラはおしゃべり烏を見た。ミトラは天使に促されるままに烏に向かって矢を放ち、合図を送った。すると烏は、ミトラを烏岩に導いた。岩が割れると、烏はその中に飛び込んだ。ミトラが愛馬を引いて中に入ろうとすると、愛馬はひざまで地面に沈んでしまった。ミトラは、なんとか愛馬を引き上げて烏岩の中に入れた。すると岩は閉じた。

17.再臨の予言
 洞窟の中で一つの声がミトラに語りかけて言った、
「あなたは、世の終わりまで、ここにとどまることになる。あなたは不死で、永遠に若く、歳をとらない。世の終わりが近づいたとき、あなたは救世主となってこの洞窟から外に出るだろう。あなたは、白馬で大地を駆けて不正を正し、新しい王国(千年王国)を築くだろう」。

18.再臨伝承
 毎年二度、ミトラは愛馬に乗って烏岩から現れ、祓い清められたお供えのパンを食べる。愛馬にまたがるミトラの両脇には、松明を持った従者が立っている。彼らの前には世界を回す車輪(天輪)があり、その回転が昼と夜をつくりだしている。この車輪が回転を止める時、ミトラが烏岩から現れ出るという。

19.再臨別伝
 ミトラが剣で烏岩の壁を打つと、岩壁は真っ二つに割れ、ミトラと愛馬を呑み込んだ。毎年二度、ミトラは烏壁から現れ、大地の固さをチェックする。大地がまだミトラの重さを支えきれないと判断すると、烏岩の中に姿を消す。ある日、一人の羊飼いが、大きく口を開けた烏岩に立つミトラを見たという。ミトラは羊飼いに気付くと、
 「この岩壁が完全に開くとき、古い世界は完全に破壊される。その後、正義と公正が実現され、新しい平和な世界が生まれる」
と語ったという。
 別の伝承によれば、ミトラのこもった烏岩の内には永遠の火があかあかと燃え、そのわきで運命の輪(天輪)が廻っている。
 運命の輪が回転を止める時、ミトラは烏岩から現れ出て、世の不正を正し、平和で幸福な世界を打ち立てるという。

………
出典『ケウル・ミトラ聖典』ミトラ武勇記p126~p127
    より抜粋 東條真人著

私見:ミトラともあろう存在が、本当に岩の中に閉ざされたまま、指をくわえて時を過ごしているだろうか?
 そもそも天輪が回転を止める時とは、世の終わりということなのかもしれないけれども、スパイラル運動をする銀河の星ぼしが動きを止めることなど、めったにないと思われるし、つまり「その時は来ない」と言っているようにも聞こえる。
 逆説的だが、ミトラの再臨は世界が終わらない限り起こらない、とでも言いたいように私には読める。
 やはりこの再臨予言というものも(まるで文句をつけているようだけれども)注意して読まないといけないかもしれない。

しかしながら、烏岩の伝承がほんとうに伝えようとしていることが、自分に受け取れたかどうかについてははなはだ心もとないので、本当のところは謎、というしかないかもしれない。

エスがミトラの再来という可能性も考えると(大天使メタトロンキリスト教に取り入れられたミトラの説もある。古名ミトラトン。)烏岩にミトラは閉ざされたままではなく、転生を続けていることもあろうと思う。

そもそも、ベツレヘムの星が輝いて 救世主の誕生を予見し、馬小屋でマリアが産んだ赤子を見つけ出した東方の三博士は、クリスチャンではない(イエスは生まれたばかりだから、キリスト教はまだ存在していない時期だ。)東方の三博士は カルデアン・マギであるとも、あるいはその他の存在とも言われるが、異教徒のマスターに救世主と認知されたイエス・キリストとは、これは何を意味するのか?!
 このことについて、皆さまはどうお考えになりますか?

アルメニアの伝承では、東方から救世主が現れるというものがあるらしいが、この話については未確認なので、興味をお持ちになられた諸賢の さらなる探求をお願いしたいと思います。

 皆さまの心には 何が残りましたでしょうか…

ここまでお読みくださりありがとうございました。