現代インドの女性聖者 アンマの祭壇

f:id:deainokotonoha:20170119230308j:plain真言宗の秘密経典には こう書かれている。
  
  仏のすべての行いは
  ひとしき愛に基づきて
  種々さまざまにひろがりぬ。
(『和訳 理趣経』金岡秀友 編著 東京美術1991)

つまりあの世浄土には 大日如来をはじめとした80億もの菩薩がいらっしゃるけれども、様々な様相はあるが、共通するものは「愛」なのだ ということだ。

仏教の様々な経典を読み込んで どんなに知識を集めてひけらかしたとしても、
この愛が分かっていなければ、ブッブー(〆)なのだ。
その愛を体得したかった。

ある日曜日の午後、吉祥寺のサンロードを歩いていると、向かいから子どもの手を引く中年の小太りの女性を見た。
「アマチマリだ!」なぜかそう思った。
正確には アマチマリさんだったかどうかは本当のところ分からない。
交差点を西側へ曲がってロフト裏に出ると、偶然だが
旧友のH氏が ガードマン姿で仕事をしている所に出くわした。
「ああ、どうもこんにちは…」
と話かけようとすると、話を手でさえぎられて、
仕事中はベストを尽くすのでジャマしないで欲しい、と言われた。
それでも、この仕事が終わったら アマチのセンターに行くので、一緒にどうですか?!と誘われた。

アマチ?!今日はアマチという言葉が偶然にしてもよく出てくる…  不思議なシンクロに半ば驚きながら一緒に行くことにした。

夕方H氏の仕事が終わる頃 待ち合わせて中央線で西荻窪へ向かった。行く先はなんと、当時自分が寝泊まりしていたアパートのすぐとなりの陽当たりの良さそうなマンションの一室だった。
マーターアムリタナンダマイー日本センター。

おじゃますると、理知的で気のよさそうなひげ面の男性Mさんと、ニコニコと優しそうな女性Nさんが 気さくに迎えてくれた。H氏の紹介ということがあったからだろう。

それよりも驚いたのは、マンション南の窓側にあるアマチの祭壇から、その周囲に普通では考えられないような濃厚なエネルギーが充満していたことだ。(デーヴィーババ・女神の雰囲気 状態で冠をかぶった姿のアマチの大きな写真が飾られていた。)祭壇にはアマチが足を乗せたという銀のサンダルもあった。
これはすごい!
まるで光り輝くエネルギーのプールに入りこんでしまったような えもいわれぬ清らかさと力強さ、そして歓喜に満たされて、はじめて間接的ではあるが出会ったアマチという存在は 理解を越えた言語を絶する存在、そう、聖者としか言い様のない方なのではないか…… と感じはじめた。


この日、10人くらいの善男善女が集まってMさんの先導のもと、バジャン(讃歌)を歌い、儀式をしたあと、
皆で手分けして作った豆カレーなどを お腹いっぱい食べて ヒンドゥー祭儀の良いところを学ばせてもらった。すっかり気にいってしまった。

アマチさんは、人類の母性を代表するような存在であり、もし子ども逹が泣いているならば、行って抱きしめてあげるのだ という。シンプルだけれども、このハグをやりつづけているそうだ。抱きしめられると、なぜか泣いてしまう人が多く、何らかの変容を経験するのだろう。

本当の愛が知りたい人、アマチの抱擁を経験してみてはどうだろうか。

アマチの存在は 人間の可能性や女性性や母性愛の尊厳を我々に示していると思う。
聖者としての彼女をあがめるだけでなく、他でもないわれわれ自身にも 同質の可能性が秘められていることに気付けるだろうか。
アマチさん、センターのみなさん ありがとうございました。