糖尿病とエッチに効果が?!スリランカの長粒赤米ラトゥ・カクルRATHU・KAKULUを発見

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スリランカの長粒赤米ラトゥ・カクル

輸入食品店に寄った。飲食店勤務時代の習性か、未知の食品・食材や調味料、香辛料の使い方などには興味がある。

スリランカ人と思われる小柄な朴とつな中年男性との
日本語・英語まじりのカタコトでの会話でも、
地球人同士の意志疎通のトレーニングだと思いながら
楽しんでいる。

……

金属棚に中くらいの袋に入った赤っぽい長粒米を見つけた。
二人の大柄で太った外国人男性が 慣れた様子で入店して来て、店主とあいさつを交わした後、
一人がこの赤米らしき袋をひとつ手に持った。

自分:「ちょっと聞いてもいいですか?」

男性:「なんですか?」

自分:「それは赤米ですか?!」

男性:「そう。ラトゥ・カクルだよ。ラトゥは赤REDの意    味だよ。」

自分:「それじゃあ、白い米はホワイト・カクル
    ですか?!」

男性:「ちがう。白い米はライスだ。そういう名前
    なんだ。」

自分:「そうですか…ラトゥ・カクルは美味しいの
    ですか?」

男性:「あまり美味しいわけではないが、糖尿病に効果
    がある。それにエッチも強くなる!
    (前腕をグッと持ち上げるポーズ)」

自分:「そうですか(笑)。ありがとう。」

……

長粒赤米の赤っぽい外皮の部分には多分ポリフェノールの様な成分が多く含まれているのだろう。
 日本でも江戸時代頃までは 神事などに赤米がお供えされていたようだし、小豆アズキ入り赤飯の原型だと言われている。

栽培種としてその他にも白米、緑米など種々なバラエティに富んだ米作りがなされていたようだが、
明治から昭和にかけては、白米一色へと統一されて来た歴史があるようだ。
 少しでも赤米が混じると「赤米公害」
と言って 米のランクも下がったと言うのだが…

……

スリランカの長粒赤米 ラトゥ・カクル が本当に
糖尿病に効果があるのかどうか?!
 またエッチが強くなるかどうかは、まだ食べていないので 分かりません。

ご興味をお持ちになられた方お試しになられたらいかがでしょうか。

……

ここまでお読み下さりありがとうございました。

インド思想入門「護摩供ヤジニヤ以外の行為は束縛になる」ギーターのことば

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ギーター/3-9
ヤジニヤ(護摩供)の所作を除いて、すべての
  行為は この世界においては束縛になる。
  このためアルジュナよ、
  お前は執着を捨て去り、行為を為せ。

………

A・ ヴィディヤーランカールの解説
  
  ヴェーダの時代よりインド人の生活において、ヤジニヤ(インドの神聖な護摩供儀)の伝統がつづけられている。
  
ヤジニヤの火は、パラマートマー(神)とその力の象徴である。それに捧げられている供儀の材料、蘇油(そゆ、ギーという精製バター)と護摩木は 人との境界意識の象徴である。

護摩木を火に捧げると、これらの供物は火そのものの姿になってしまう。
このように人パラマートマーの前に身を捧げて、パラマートマーを得るのだ。
そしてパラマートマーの光がその人の中にやって来る。ヤジニヤは人が自分の限られた手段を社会の安寧のために捧げ尽くすという一つの社会的儀礼の象徴でもある。

このようにヤジニヤの精神で仕事をしている人は 自分の意識を無私、無垢、寛大、そして清浄に保っている。

出典『ギーター・サール』インド思想入門 
   バガヴァッド・ギーターの神髄
  A・ ヴィディヤーランカール著
  長谷川澄夫訳 東方出版2007

………

私見: インド世界では、唯一、束縛にならない行為が護摩供ヤジニヤなのだと断言するこの文言は、かなり透徹した意見ではないか。
日本社会に当てはめてみると、例えば 密教護摩仏教神道などの祈祷に当てはまるかもしれない。

我々が成人する頃までに家庭や学校で日頃に刷り込まれた習慣は、その後の社会生活において基盤となるだけでなく、かなり不自由な信念の体系として
時として自分自身をしばり付けてしまうものだ。
「わかっちゃいるけど、やめられない…」というやつだ。
誰もが本当は 自由自在に生きられたらいいだろうに……と考えると思うのだが、古くからインドでは、
 「祈りヤジニヤ以外の行為は束縛になってしまう」
と言われて来たのを知った時は、すごい知見だと思った。
米国の著名な精神科医で、意識の科学を深く研究しつづけた デービット・R・ ホーキンズ博士(故人)も、
How to live your life like a prayer いかにして人生を祈る人のように生きるか、ということを大切なテーマにしていたようだ。
ホーキンズ博士の意識についての科学的研究は、キネシオロジー筋肉反射テスト(YesとNoを人間の生体反応が示してくれる)に基づいているようだが、スピリチュアリズムの虚実についても かなり明確な認識を示しており、
インド思想にも現代的手法で肉迫しているものと推察している。

興味をお持ちの方は キネシオロジーやタッチフォーヘルスなど解放の技術も追求されてはいかがでしょうか。

「祈りを生きる」ということが、ひとつの答えなのですね……

ここまでお読みくださりありがとうございました。

インド思想入門 「完全な他人の道を行くより、不完全であっても自分の道を行け」ギーターのことば

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ギーター/3-35
  わが道程に、たとえ何らかの欠陥があろうとも、
  遺漏なく辿った他人の道より勝る。
  己れの道を行きつつ死ぬも良し、
  しかし他人の道は恐怖である。

A・ ヴィディヤーランカールの解説
 我々は自分の本性を直ぐに変えてしまうことはできない。しかし度々我々は他人の真似をしたくなる。何故なら、我々はそれらの道に魅力を感じるからである。若者たちは社会に広がる現在の流行に安易に影響されてしまい、そして殆んど後でそう決めて為したことを後悔する。
 精神的な生活に関してもこのことは当てはまる。もし我々が誰かの真似をして、何らかの精神的な道を進み始めたとしても、我々はそこで迷いと失望を手にするだろう。 
 我々は常に自分に正直な態度と自分の性質に合った正しい生き方を選び、その道を歩まねばならない。

  出典『ギーター・サール』インド思想入門
    A・ ヴィディヤーランカール著
    長谷川澄夫訳 東方出版2007より

………

私見: 私たちの住む世界は、いわば相対界だろう。対極にある世界が 完全で美しい絶対界だとすると、それに比べて相対界は はなはだ不完全であるし、世界の各国は覇権を争い、経済はドンづまりで99%の人々は困窮し、政治家は無茶をして権力者は利権をむさぼる とんでもなくヒドい世界だ、などと時々文句を口走ってしまったりしないだろうか?!

しかしTM瞑想のヨーギ、マハリシ
 「相対界はもともと不完全なのだから、不完全性について文句を言わないようにしましょう」
と後進にアドバイスしている。

このマハリシの言葉は、若い頃ははじめピンとこなかったのだけれど、最近は なるほど!と心に響いてくるようになった。

私たちは時として完全主義というワナにはまってしまい、自分に対しても また他人に対してもついつい批判的で厳しく接してしまうことがあるけれど、
不完全な相対界なのだ、と考えれば、広い心でいられるような心持ちがするから ほっとする。

何を行っても完全にはいかないけれども、それでも他人を真似て完全であるより、不完全であっても 自分の人生を生きることが大事なのだ、とこのギーターの章句は示してくれている。

とても印象深く、そして心の励みになっている。

………

皆さんはどう思われますか?

ここまでお読みくださりありがとうございました。

インド思想入門 「行為は行為をしないより勝っている」ギーターのことば

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ギーター/3-8
汝よ、自分に決められた仕事は必ず果たせ。    何故なら行為は行為をしないより勝っているからで  ある。
  また仕事をしないと汝の肉体の維持さえできなく  なるであろう。

………

A・ヴィディヤーランカールの解説
  :もし行動するかしないか、どちらかを選択しなければならないとすれば、ギーターはどんな状況においても行動することが勝っていると、明確に告げている。そして如何なる人も自分の肉体を維持するために何らかの仕事をつづけなければならない。しかし仕事の意味は単に肉体を保ち、また何かの肉体的な活動を続けるだけではない。それぞれの人間が自分の家族や社会に対し、また自分に対して何らかの仕事が決められている。
それらの定められた仕事をしつづけてこそ、人は自分の人生の目標に進んでいくことができる。

修行の意味は家庭や社会を捨てて森に隠棲することではない。
社会に住みつつ、実生活の諸問題に立ち向かい、それらを考察し、解決してこそ、我々は自己を向上させることができるのである。

………

私見 : 決められた仕事 ということについては、少し考えさせられる。

本当に自分自身が望んでいる仕事であれば、自己実現であり、社会への最大の貢献となると思うのだが、自分が本来望んでいない、いやいやストレスまみれで行っている仕事であっても、決められた仕事とされる可能性もあるから。

しかしそれでも やらないよりやった方が勝っている ということだろうか?!

最大の社会貢献は、自分自身が本当にやりたいことを見つけ出し、本当に心からやりたいことを行うことだと思う。(一説では、嫌々行う仕事と 大好きな仕事を積極的に行うのとでは、その生産性に約250倍の差が発生するとか)
そしてそれこそが自分にとって本当に責任ある行動だと思う。

しかしながらギーターのこの章句は、たびたび思い出される 素晴らしい達見だと感ずる。

皆さまはどうお考えになりますか?

ここまでお読みくださりありがとうございました。

出典『ギーター・サール』インド思想入門
   A・ ヴィディヤーランカール著
   長谷川澄夫訳 東方出版2007
 

インド思想入門 マハトマ・ガンディーのことば

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 ギーターによって、常に私は平安を得た。
私が全く孤独に陥った時、周囲から絶望に囲まれた時、そして一縷の希望もそこに見出だせなかった時、私はギーターに救いを求め、そして私は人生の恐ろしい試練の中でも、微笑みが訪れるような、何らかの詩句をあちこちに見出した。
私の人生は外的な苦難に満ちている。
しかし それらは私自身に些かの痕跡も残していないのは、このギーターの教えのお陰である。
        マハトマー・ガーンディー

出典『ギーター・サール』インド思想入門
   A・ヴィディヤーランカール著
   長谷川澄夫訳
   東方出版2007 より

ありがとうございました。

アルメニアの伝承「烏岩カラスいわの謎」 ミトラ武勇記より

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アルメニアのミトラ伝承とミトラ再臨予言に、烏岩からすいわ についての不思議な話が伝わっているようなので、以下に抜粋してみました。


………

ミトラ武勇記 (若き聖戦士ミトラの武勇伝)

1.序  アルメニアの伝承によれば、ミトラはアルメニアの地に二度生まれ出ている。アルメニアの伝承は、最初の生まれ変わりを 大ミトラ、二度目の生まれ変わりを 小ミトラ と呼んでいる。

………中略

14.父母のお告げ  葬儀を終えると、ミトラは、父の墓のもとに行き、いくら退治しても悪者は減らず、もはやこの世には自分を支えるものが何もないと嘆いた。すると父の霊が墓の中から現れ、ミトラに言った、
「わたしにできることは何もない。天輪の回転は誰にも止められない。わが子よ、烏岩カラスいわ(アクラヴォ・カル)に行くがよい」。
この言葉の意味を解くために、ミトラは母の墓に向かった。母の霊は墓の中から現れて、父の言葉の
重要性を強調したが、その意味を解いてはくれなかった。父と同じく烏岩に急げとだけ言った。

15.七つの試練
 謎が解けぬまま、ミトラはヴァン平原をさまよい、烏岩を探して旅を続けた。ある日、ミトラは馬に乗った七名の天使たちと出会った。彼らは一人ずつ順番に、ミトラと試合をした。試合は丸一日続いた。一人また一人と、天使たちはミトラに降参し、ついに全員が降参した。彼らはミトラがかすり傷ひとつ負わなかったことを知って、勇敢な若武者ミトラと主従の関係を結び、ミトラを烏岩まで案内することになった。

16.烏岩からすいわ 
 七名の天使に案内されて、ミトラは、トスパ平原にやって来た。そこで、ミトラはおしゃべり烏を見た。ミトラは天使に促されるままに烏に向かって矢を放ち、合図を送った。すると烏は、ミトラを烏岩に導いた。岩が割れると、烏はその中に飛び込んだ。ミトラが愛馬を引いて中に入ろうとすると、愛馬はひざまで地面に沈んでしまった。ミトラは、なんとか愛馬を引き上げて烏岩の中に入れた。すると岩は閉じた。

17.再臨の予言
 洞窟の中で一つの声がミトラに語りかけて言った、
「あなたは、世の終わりまで、ここにとどまることになる。あなたは不死で、永遠に若く、歳をとらない。世の終わりが近づいたとき、あなたは救世主となってこの洞窟から外に出るだろう。あなたは、白馬で大地を駆けて不正を正し、新しい王国(千年王国)を築くだろう」。

18.再臨伝承
 毎年二度、ミトラは愛馬に乗って烏岩から現れ、祓い清められたお供えのパンを食べる。愛馬にまたがるミトラの両脇には、松明を持った従者が立っている。彼らの前には世界を回す車輪(天輪)があり、その回転が昼と夜をつくりだしている。この車輪が回転を止める時、ミトラが烏岩から現れ出るという。

19.再臨別伝
 ミトラが剣で烏岩の壁を打つと、岩壁は真っ二つに割れ、ミトラと愛馬を呑み込んだ。毎年二度、ミトラは烏壁から現れ、大地の固さをチェックする。大地がまだミトラの重さを支えきれないと判断すると、烏岩の中に姿を消す。ある日、一人の羊飼いが、大きく口を開けた烏岩に立つミトラを見たという。ミトラは羊飼いに気付くと、
 「この岩壁が完全に開くとき、古い世界は完全に破壊される。その後、正義と公正が実現され、新しい平和な世界が生まれる」
と語ったという。
 別の伝承によれば、ミトラのこもった烏岩の内には永遠の火があかあかと燃え、そのわきで運命の輪(天輪)が廻っている。
 運命の輪が回転を止める時、ミトラは烏岩から現れ出て、世の不正を正し、平和で幸福な世界を打ち立てるという。

………
出典『ケウル・ミトラ聖典』ミトラ武勇記p126~p127
    より抜粋 東條真人著

私見:ミトラともあろう存在が、本当に岩の中に閉ざされたまま、指をくわえて時を過ごしているだろうか?
 そもそも天輪が回転を止める時とは、世の終わりということなのかもしれないけれども、スパイラル運動をする銀河の星ぼしが動きを止めることなど、めったにないと思われるし、つまり「その時は来ない」と言っているようにも聞こえる。
 逆説的だが、ミトラの再臨は世界が終わらない限り起こらない、とでも言いたいように私には読める。
 やはりこの再臨予言というものも(まるで文句をつけているようだけれども)注意して読まないといけないかもしれない。

しかしながら、烏岩の伝承がほんとうに伝えようとしていることが、自分に受け取れたかどうかについてははなはだ心もとないので、本当のところは謎、というしかないかもしれない。

エスがミトラの再来という可能性も考えると(大天使メタトロンキリスト教に取り入れられたミトラの説もある。古名ミトラトン。)烏岩にミトラは閉ざされたままではなく、転生を続けていることもあろうと思う。

そもそも、ベツレヘムの星が輝いて 救世主の誕生を予見し、馬小屋でマリアが産んだ赤子を見つけ出した東方の三博士は、クリスチャンではない(イエスは生まれたばかりだから、キリスト教はまだ存在していない時期だ。)東方の三博士は カルデアン・マギであるとも、あるいはその他の存在とも言われるが、異教徒のマスターに救世主と認知されたイエス・キリストとは、これは何を意味するのか?!
 このことについて、皆さまはどうお考えになりますか?

アルメニアの伝承では、東方から救世主が現れるというものがあるらしいが、この話については未確認なので、興味をお持ちになられた諸賢の さらなる探求をお願いしたいと思います。

 皆さまの心には 何が残りましたでしょうか…

ここまでお読みくださりありがとうございました。