疲労回復にゴマ食 吉祥寺蒼龍唐玉堂

f:id:deainokotonoha:20160623013314j:plainf:id:deainokotonoha:20160623013346j:plain     吉祥寺 蒼龍唐玉堂の黒ゴマ担々麺

ゴマは古来より仙人食とされ、東アジア(中国・朝鮮・日本)では不老長寿の食用として珍重されて来たようだ。
脂質50%、たんぱく質20%、食物繊維が含まれている。胃腸を整え、老化防止、強壮作用がある。頭脳の働きをよくし、ビタミンB群は精神を安定させる。その他不飽和脂肪酸リノール酸 ミネラル類、カルシウムも豊富に含まれる。

このように東アジアではゴマの効用は絶賛されているが、インドではどういうわけか食用には向いていないと判断されている。
アーユルヴェーダの知見によると、ゴマは消化重性(消化しにくい)で、体内にはいると未消化物質・アーマが発生しやすいとされ、粘着性が高く、体内の通路にたまって通路を塞いだり 組織に沈着して、種々の病気や老化を起こす原因になるという。

東アジア(中国・朝鮮・日本)とインドとの違いは、インドは比較的南方に位置し、食料が豊富にとれたため、ゴマを食用としなくても済んだからではないか?!と自分は想像する。
比べて温帯の東アジアでは ゴマは貴重な栄養源として最大限利用されたのだろう。
高野山永平寺のゴマ豆腐や精進料理には 修行食としてゴマは欠かせないと思うし、韓国料理店でもゴマはトッピングに多用され ゴマ油も料理に重用されている。

……などと考えつつも、吉祥寺を歩き疲れた時には、ついつい美味しい担々麺を食べに蒼龍唐玉堂に寄ってゆく。オススメは、黒、白、紅、黄の4色のなかでは、断然 黒ゴマ担々麺である。
食べごたえあり、です。

あ、そうです。黒、白、紅、黄ときたら、五行を思い出されますね。

蒼龍唐玉 などという名前に、なにやら魅力を感じるあなたはきっと通ですね。

青 がないじゃないか! いえ、あるのです。
蒼龍の 蒼は青の意味ですから、ちゃんと五行がそろっているのです。

かなりコンセプトが練られたお店のようですね。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

常総市でマダニに喰われた

f:id:deainokotonoha:20170408180802j:plain2016年5月初め、急に田植えを手伝い竹やぶの獣道を通った折り、ダニに喰われた。

半袖姿だったせいか、右手の前腕部に、2㍉くらいの小さな虫が付いていたので、とっさに払いのけたが、まったく動かずへばり付いている。何だろう?と思い、まじまじと見てみると、それは2㍉くらいの 真っ黒なカニの様な形をした虫の姿だった。気味が悪くて、引き剥がして潰した。吸われた跡が、赤い血の点になった。少し血を絞り出した。

ひと月ほどして、地元の初老の男性が草刈りの後ダニに喰われた話をしているのを聞いた。草刈りの数日後、腕に小さなアザの様なものが二つほどできていたが、痛くもかゆくもなかったものの、その中にダニが入っていたのだという。
長年地元に暮らしている方だが「ダニに喰われたのは 初めてだ」と語っていた。
近くでその話を聞いていた造園関係者も、ダニに喰われたことはない 気を付けます、と話していた。

幼少の頃、野山を駆け回る日常にダニに喰われたことは一度もなかった。自分も人生において初めてである。
調べてみると、どうやらマダニのようだ。近年栃木県でもマダニが発見されている。常総市においてもマダニ由来の感染症には注意が必要だろう。

ありがとうございました。

つくば市のコーヒー豆屋さん トライブ

f:id:deainokotonoha:20160609101026j:plainつくば市の西大通り沿いにある コーヒーロースター トライブに入った。「試飲です。どうぞ。」とスタッフに勧められて小さなカップで淹れたてのコーヒーをいただいた。香りもよく新鮮な美味しさ。

トライブという店名の意味は、そのまま訳すと「部族」となる。センスが光っている。

今後伸びてゆくだろうこのお店の可能性に期待します。

ありがとうございました。

胡蘭成の書 和敬

f:id:deainokotonoha:20160606004754j:plain     胡蘭成の書 「和敬」

彼の書のなかに、時折だが日本的なことば選びがみられることがある。

また この作品には名が抜けているが、名前を書かないことについて「一流の人間であれば、名前を書かなくても分かってもらえるものだ」と胡蘭成は語っていたと伝聞したことがある。
書についての自信がうかがえる。

ありがとうございました。

胡蘭成 梅花の書

f:id:deainokotonoha:20160606003316j:plain     胡蘭成の書 「幾生修得到梅花」      

50年近く自宅の離れの部屋に掛かっている額の字。長い間、梅の花(そのもの)について何か胡蘭成が思うところを書いたのだと思っていた。

梅花の字が梅の花の意味ではなく、梅花心易(易断の一種)を指しているだろうことに ようやく気付いたのは近年のこと。

祖国を追われ筑波山に隠棲していた時のことだろう。
ふと、いったい幾つの人生を生まれ死にすれば 易(梅花)の境地にたどり着くだろうか?!と胡蘭成の想いが動いた時の言葉だと思う。

50年以上の時を経て、故人の書が時空を越えて語りかけてくる……
そんな妙味が書にはあるのだと分かった。

ありがとうございました。