疲労回復にゴマ食 吉祥寺蒼龍唐玉堂
吉祥寺 蒼龍唐玉堂の黒ゴマ担々麺
ゴマは古来より仙人食とされ、東アジア(中国・朝鮮・日本)では不老長寿の食用として珍重されて来たようだ。
脂質50%、たんぱく質20%、食物繊維が含まれている。胃腸を整え、老化防止、強壮作用がある。頭脳の働きをよくし、ビタミンB群は精神を安定させる。その他不飽和脂肪酸、リノール酸 ミネラル類、カルシウムも豊富に含まれる。
このように東アジアではゴマの効用は絶賛されているが、インドではどういうわけか食用には向いていないと判断されている。
アーユルヴェーダの知見によると、ゴマは消化重性(消化しにくい)で、体内にはいると未消化物質・アーマが発生しやすいとされ、粘着性が高く、体内の通路にたまって通路を塞いだり 組織に沈着して、種々の病気や老化を起こす原因になるという。
東アジア(中国・朝鮮・日本)とインドとの違いは、インドは比較的南方に位置し、食料が豊富にとれたため、ゴマを食用としなくても済んだからではないか?!と自分は想像する。
比べて温帯の東アジアでは ゴマは貴重な栄養源として最大限利用されたのだろう。
高野山や永平寺のゴマ豆腐や精進料理には 修行食としてゴマは欠かせないと思うし、韓国料理店でもゴマはトッピングに多用され ゴマ油も料理に重用されている。
……などと考えつつも、吉祥寺を歩き疲れた時には、ついつい美味しい担々麺を食べに蒼龍唐玉堂に寄ってゆく。オススメは、黒、白、紅、黄の4色のなかでは、断然 黒ゴマ担々麺である。
食べごたえあり、です。
あ、そうです。黒、白、紅、黄ときたら、五行を思い出されますね。
蒼龍唐玉 などという名前に、なにやら魅力を感じるあなたはきっと通ですね。
青 がないじゃないか! いえ、あるのです。
蒼龍の 蒼は青の意味ですから、ちゃんと五行がそろっているのです。
かなりコンセプトが練られたお店のようですね。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
常総市でマダニに喰われた
2016年5月初め、急に田植えを手伝い竹やぶの獣道を通った折り、ダニに喰われた。
半袖姿だったせいか、右手の前腕部に、2㍉くらいの小さな虫が付いていたので、とっさに払いのけたが、まったく動かずへばり付いている。何だろう?と思い、まじまじと見てみると、それは2㍉くらいの 真っ黒なカニの様な形をした虫の姿だった。気味が悪くて、引き剥がして潰した。吸われた跡が、赤い血の点になった。少し血を絞り出した。
ひと月ほどして、地元の初老の男性が草刈りの後ダニに喰われた話をしているのを聞いた。草刈りの数日後、腕に小さなアザの様なものが二つほどできていたが、痛くもかゆくもなかったものの、その中にダニが入っていたのだという。
長年地元に暮らしている方だが「ダニに喰われたのは 初めてだ」と語っていた。
近くでその話を聞いていた造園関係者も、ダニに喰われたことはない 気を付けます、と話していた。
幼少の頃、野山を駆け回る日常にダニに喰われたことは一度もなかった。自分も人生において初めてである。
調べてみると、どうやらマダニのようだ。近年栃木県でもマダニが発見されている。常総市においてもマダニ由来の感染症には注意が必要だろう。
ありがとうございました。
つくば市のコーヒー豆屋さん トライブ
つくば市の西大通り沿いにある コーヒーロースター トライブに入った。「試飲です。どうぞ。」とスタッフに勧められて小さなカップで淹れたてのコーヒーをいただいた。香りもよく新鮮な美味しさ。
トライブという店名の意味は、そのまま訳すと「部族」となる。センスが光っている。
今後伸びてゆくだろうこのお店の可能性に期待します。
ありがとうございました。
胡蘭成の書 和敬
胡蘭成の書 「和敬」
彼の書のなかに、時折だが日本的なことば選びがみられることがある。
また この作品には名が抜けているが、名前を書かないことについて「一流の人間であれば、名前を書かなくても分かってもらえるものだ」と胡蘭成は語っていたと伝聞したことがある。
書についての自信がうかがえる。
ありがとうございました。
胡蘭成 天才の書に触れて
筑波山神社の参道わきにたつ 胡蘭成の書が刻まれた石「天道好還」。
現代インドの女性聖者 アンマの祭壇
真言宗の秘密経典には こう書かれている。
仏のすべての行いは
ひとしき愛に基づきて
種々さまざまにひろがりぬ。
(『和訳 理趣経』金岡秀友 編著 東京美術1991)
つまりあの世浄土には 大日如来をはじめとした80億もの菩薩がいらっしゃるけれども、様々な様相はあるが、共通するものは「愛」なのだ ということだ。
仏教の様々な経典を読み込んで どんなに知識を集めてひけらかしたとしても、
この愛が分かっていなければ、ブッブー(〆)なのだ。
その愛を体得したかった。
ある日曜日の午後、吉祥寺のサンロードを歩いていると、向かいから子どもの手を引く中年の小太りの女性を見た。
「アマチマリだ!」なぜかそう思った。
正確には アマチマリさんだったかどうかは本当のところ分からない。
交差点を西側へ曲がってロフト裏に出ると、偶然だが
旧友のH氏が ガードマン姿で仕事をしている所に出くわした。
「ああ、どうもこんにちは…」
と話かけようとすると、話を手でさえぎられて、
仕事中はベストを尽くすのでジャマしないで欲しい、と言われた。
それでも、この仕事が終わったら アマチのセンターに行くので、一緒にどうですか?!と誘われた。
アマチ?!今日はアマチという言葉が偶然にしてもよく出てくる… 不思議なシンクロに半ば驚きながら一緒に行くことにした。
夕方H氏の仕事が終わる頃 待ち合わせて中央線で西荻窪へ向かった。行く先はなんと、当時自分が寝泊まりしていたアパートのすぐとなりの陽当たりの良さそうなマンションの一室だった。
マーターアムリタナンダマイー日本センター。
おじゃますると、理知的で気のよさそうなひげ面の男性Mさんと、ニコニコと優しそうな女性Nさんが 気さくに迎えてくれた。H氏の紹介ということがあったからだろう。
それよりも驚いたのは、マンション南の窓側にあるアマチの祭壇から、その周囲に普通では考えられないような濃厚なエネルギーが充満していたことだ。(デーヴィーババ・女神の雰囲気 状態で冠をかぶった姿のアマチの大きな写真が飾られていた。)祭壇にはアマチが足を乗せたという銀のサンダルもあった。
これはすごい!
まるで光り輝くエネルギーのプールに入りこんでしまったような えもいわれぬ清らかさと力強さ、そして歓喜に満たされて、はじめて間接的ではあるが出会ったアマチという存在は 理解を越えた言語を絶する存在、そう、聖者としか言い様のない方なのではないか…… と感じはじめた。
この日、10人くらいの善男善女が集まってMさんの先導のもと、バジャン(讃歌)を歌い、儀式をしたあと、
皆で手分けして作った豆カレーなどを お腹いっぱい食べて ヒンドゥー祭儀の良いところを学ばせてもらった。すっかり気にいってしまった。
アマチさんは、人類の母性を代表するような存在であり、もし子ども逹が泣いているならば、行って抱きしめてあげるのだ という。シンプルだけれども、このハグをやりつづけているそうだ。抱きしめられると、なぜか泣いてしまう人が多く、何らかの変容を経験するのだろう。
本当の愛が知りたい人、アマチの抱擁を経験してみてはどうだろうか。
アマチの存在は 人間の可能性や女性性や母性愛の尊厳を我々に示していると思う。
聖者としての彼女をあがめるだけでなく、他でもないわれわれ自身にも 同質の可能性が秘められていることに気付けるだろうか。
アマチさん、センターのみなさん ありがとうございました。